matsuo.

ツイッターより長い事を書きたい時に使ってます

ルミネtheよしだたちが素晴らしい単独ライブだった事

 

3/24 ルミネtheよしだたち  

 

この日は吉田たちの単独ライブを見た。

NGKとかパンパンになるのにルミネでの単独は今回が初。そんな感じが全然しない。

 

吉田たちはめちゃくちゃ頻繁に単独をやるのでここ数年は大阪東京含めてほぼ全部見に行ってたけど、今回の単独が今まででいっちばん良かった。初めて吉田たち単独を見た時の新鮮さや高揚感をぶち抜いて、今回のルミネtheよしだたちが過去最高。特別な事はやっておらず、漫才と暗転中のロケ映像とトーク、と普段の単独の形だったんだけど、ただただ良かったんです本当に。

 

ネタは意欲、工夫、技術があって、べしゃり的な部分やまとまりはもうこれ以上ないのではってくらいいつもバランスが良い。それと細かな部分のブラッシュアップに感動する。

あの時間、あの瞬間、3月24日のあの舞台での2人の空気がただただ良かった。気合い入ってます!賞レースに向けてネタかけてます!とか、ネタがめちゃくちゃウケていて、会場の空気があたたまっているから心地が良い事とはまた別の心地よさがあった。

お客さんと演者を包む膜みたいな、あの時間、あの空間を創り上げるには必要不可欠だった目には見えないけどそこにあるものに、私はめちゃくちゃ元気と感度を貰いました。

見終わった後、幸福感に足元ふらふらしたくらい。土曜の夜の新宿の街のぐっちゃぐちゃなあれやこれやを全身に浴びても、それを全て愛してしまうほど。なんでも見える、なんでも許せる。あの夜、目に見えるもの、耳で聞こえるもの、肌で感じる風や気配、足の裏から伝わる街の事とか、全てを本当に心の底から愛してしまった。超無敵状態。2時間お笑いライブを見ただけで。

 

 

決め手がふんわり感覚的であるのは私の気分や体調にとても左右されているからで、専門的な(?)的確なレポはできない(今までもしてこなかったけど……ネタのタイトルメモくらいで)

私はライブを見るのは大好きだけど、ネタの構造とか専門的な事は本人達から発信されたもの以上の部分は触れないようにしていて(評論するような目線を持つと自分がライブを楽しむ目的と違ってきてしまうので)私はただ、ライブを見ている間くらいは自分の感度を丸裸にしていたくて。だから、面白いネタを見て泣きそうになるし、満席立ち見完売御礼という事にも泣きそうになって。ネタでもトークでもない繋ぎの部分のちょっとした会話とかにもくらくら揺れてしまって。邪念、雑音、不安、戸惑いを吹き飛ばして全部私のプラスになるようにあの日の心は動いていた。

 

ライブの後に一緒に見に行った友達にも「今日のライブ、いつもより見やすくなかった?」と聞いたら、凄く良かった!なんだろう……雰囲気?と言っていたので、私と似たような事を思った人は他にも沢山いるかもしれない。だとしたらとても幸せだ。自分の気持ちを確かめたいわけでもなく、偉そうな仲間意識でもなく。でも、幸せだ。

 

別のライブで某芸人さんが「やっぱりお客さん沢山入ってくれると嬉しい〜!ってなっちゃって、それだけで俺売れたー!ってすぐ勘違いしちゃう」言ってて、最近の私はこういうなんでもない部分にキて、ぎゃんぎゃん刺激されてしまう。こういう風に感じる心を本当に本当に羨ましく思ってしまう。人間性がぽろっとこぼれる瞬間に出くわすたび、日々の生活の中でボロッボロに擦り切れた自分の心があらわになって痛いーーーー!!!ってなってるんですよ。

この間も1日の用事を済ませて休憩がてら入ったミニストップで、小さなパフェを頼んでイートインスペースで待ってたら、持ってきてくれた店員さんがスプーンの封を取り出しやすいように切ってくれて、紙ナプキンをさっと机に敷いてごゆっくりどうぞって言ってくれた時も泣きそうになってしまった。これ以上何処を擦り切ったらいいのかって思う心に、冷たくて柔らかいアイスクリームがこっくり溶けた。

 

去年の秋頃からこういった感度のネジが馬鹿になってしまっていて、何もかも丸裸で浴びているので凄く疲れるし歯止めが効かなくて困る事も多いのだけど、それでも今までの人生でこんなにも惜しみなく日々の生活の中でアンテナはるってまあなかったなと思う。暫くこのままだと思う。

 

 

最果タヒさんが、

「私の詩を少しでも好きだと思ってもらえたなら、それは決して私の言葉の力ではなくて、最初からあなたの中にあった何かの力。私の作品じゃなくても、ふと見た景色や鳥のさえずりや、好きな歌、それらにふっと顔がほころぶ日があったなら、それはきっとあなたの中の何かが響いて、すべてを眩しく見せているんだろう」

 

と、言っていた。

 

「世界が美しく見えるのは、あなたが美しいからだ」

 

あの夜はまさにこれだった。

私の中の何かが響いて、すべてを眩しく見つめていた。タヒさんのこの言葉に出会った時、ああ、言っている事は凄くイメージ出来る、でもそれ止まりで精々頭の中でそれっぽく世界が輝くだけで、身体で眩しいと感じる事はきっと遠い先の事なんだろうと思っていた。

感じたいんだけど!どうにかなりたい!どうにかして欲しいんだけど!って一人無口に喚いていたら、あっさり出来てしまった。私が私の心に向き合ったら、何もかも眩しく見えてしまった。これ以上ない最高密度な瞬間を、私の心が感じてそれを今の私が肯定している事だけでも少し前の私からすれば奇跡みたいな話だ(ズタボロの引きこもり状態だった)

あの瞬間の、あそこやここのあれはどんな言葉がフィットするだろうと選別していくうちに鮮度はどんどん落ちて、別のものとして再構築されていく。私はあの夜、あの2時間で感じた事全てを肯定出来た自分のために書く。

 

心と身体と内と外と全てリンクして、フィットする瞬間、私は私のために震えた。

 

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