読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

matsuo.

ツイッターより長い事を書きたい時に使ってます

あまり気が進まない

 

他人の夢の話って基本的に興味がわかない。

無理矢理理由を見つけるならば、乱暴な言葉になってしまうが、

「どうせ夢じゃん」の一言で片付けてしまう。

もっと悪くいえば、話を聞いている実感すらわいてこない。

自分が見た夢をあまりしっかり記憶出来ないから、

人の夢にもさほど興味がわかないのかもしれない。

 

私がかろうじて覚えている夢といえば、

予備校時代、凄く苦しかった時代に、予備校の道路の前で、

当時教わっていた先生に車でひかれた夢くらい。

受験とか先生とか予備校とか色んな事が怖かったのだと思う。

ここ数年、大学に入ってからは、基本的に同じ人しか夢に出てこない。

大した中身もない夢ばかりなので、勿論はっきりと覚えていない。

夢をみたな、あの人とあの人が出てきたな。

これくらいの記憶しか残らない。

 

 

以前、学校で文学の授業を受けていた時に、

週一回必ず提出する課題があり、

それは新聞の気になる記事を自分でピックアップし、

それについて作文用紙一枚分くらいのレポートを出すという課題で、これが結構大変だった。

一人暮らしの大学生は新聞などまずとる事はないので、

その都度コンビニなどで買わなければならないし、一週間は以外と短いし、

大きな新聞紙をめくってそこから書けそうな記事を探すというのは

文章を書く事という行為が好きでないと厳しいなと思った。

私はそれをなんとか毎週出していた。

 

いいレポートや、先生が気になったレポートは授業内でふれて貰えるのだが、

その中で夢についてレポートを書いてきている人がいた。

その人は作文の冒頭の方に、

「他人の夢の話など退屈でしょうが、どうぞ最後までお聞き下さい」

(多少ニュアンスが違うかもれないが、大体こんな感じだったと思う)

という一文を書いていた。先生はこの一文がとても気に入ったと言っていた。

私も激しく同意した。

そう、他人の夢の話って退屈なのだ。

昨日みた夢の話を聞くくらいなら、昨日の晩ご飯のメニューを聞いた方がいい。

本当に駄目なのだと思う。

 

面白い夢も勿論ある。

読む事は好きなので、夢日記は程よく好きだ。

日記におこしたものがスルッと入ってくるのは、

文字には情報以外の邪魔な要素が一切ないからかもしれない。

人の声で聞いた夢の話は、

その人の声、聞いている環境、お互いの気持ちのコンディション、

など色んな要素が加わってくるので、情報が薄くなったり濃くなったりする。

聞きたいのは夢の話なのに、色んな要素がそれを邪魔してくる。

どうしても誰かの夢に触れたい時は、極力その人から「聞き」たくない。

日記などにおこして貰って「読み」たい。

 

 

夢を見ている時は、脳内で物事を整理しているという話をきいた。

眠っている時も、勿論意識はあると思う。

でも、眠っている間は、意識がない事を意識出来ないので、

そんな中で脳みそが静かに整理整頓している様は本当は物凄く嫌